京都観光説明板j123

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由緒書読み歩き

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▼下は京都市中京区押小路通小川西入古城町に掲げてある京都市の駒札説明板(由緒書)の文をそのまま再録しています。
閑院(かんいん)址
 ここから北西にあたる西洞院通、押小路通、油小路通、二条通に囲まれた地域は、平安時代から鎌倉時代初期にかけて藤原氏の邸であったところである。当初は、藤原冬嗣(ふゆつぐ)の邸であったが、十一世紀初期に藤原公季(きんすえ)が伝領してから「閑院」と称した。
 また、高倉天皇の時代(一一六一〜一一八一)大内裏が甚しく荒廃したため閑院邸が里内裏(臨時に設けられる皇居)として利用され、次いで後鳥羽天皇もここで皇位を承継するなど朝廷の中心となった所でもある。
 以来、後深草天皇に至る九代九十余年間里内裏になっていたが、正元元年(一二五九)五月に火災で焼失した。  閑院の南殿にて月前松を詠める
 いまはまた世々をかさぬる 庭の松 ふりてぞみゆる秋の夜の霜 〜順徳天皇〜
                                                  京都市
閑院址の場所:京都市中京区押小路通小川西入古城町 西福寺内
由緒書が掲示されている場所:京都市中京区押小路通小川西入北側の西福寺の前

▼下は京都市中京区押小路通小川西入古城町に掲げてある京都市の駒札説明板(由緒書)の文をそのまま再録しています。
豊臣秀吉妙顕寺城跡
  この付近は、豊臣秀吉の妙顕寺城の故地である。妙顕寺とは、鎌倉後期、日像がはじめて京都に建立した日蓮宗寺院であり、たびたび場所は移ったが、戦国時代にはこの地にあった。天正一一年(一五三八)九月、豊臣秀吉は寺を小川寺ノ内に移転させてあとに二条新邸を構築し、天正一四年聚楽第を造るまで、京都の政庁とした。建物の姿は詳しくはわからないが、周囲に堀をめぐらし、天主をあげていたという。したがって屋敷というより城と呼ぶにふさわしいといえよう。平素は前田玄以が居住して京都の政務にあたり、秀吉が上洛すると、ここが宿舎となった。豊臣秀吉が次第に天下を握ってゆく間の、重要な政治的拠点であった。現在、城跡はしのぶべくもないが、古城町という町名となって、よすがを伝えている。
           京都市
由緒書が掲示されている場所:京都市中京区押小路通小川西入北側の西福寺の前

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京都の観光ガイドj123妙顕微寺城跡