京都の観光お寺めぐり紅葉花桜寺院神社写真集は大津市、宇治市等の京都市近郊も含みます。

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京都の寺院めぐりメモ

十三宗派について

下の十三宗派は、ひろさちや監修「現代人のための仏教の知識百科」その他の書籍を参考にして記述いたしました。参考にさせていただきました書籍の著者様及び出版社様に心からお礼申し上げます。
 下の文章は京都の寺院を訪ね歩く際の参考にしていただければ幸いに思います。

◆南都六宗のうち現在に残る三宗◆

法相宗(ほっそうしゅう)

南都六宗のうち、現在も存在する宗派の一つです。三蔵法師の名でよく知られている中国、唐の玄奘がインドからもちかえって漢訳した「成唯識論」等の経典を中国語に訳して法相宗を確立しました。法相宗という名は、この識によってすべての事物のあり方(諸法のあり方、つまり法相)を究明しようとしたところからつきました。中国ではやがておとろえましたが、、朝鮮や日本で栄えました。日本へは、653年(白雉4)に唐に留学して玄奘に学んだ道昭が伝えたのが最初とされています。法相宗は南都六宗のひとつとして栄え、行基、徳一、良遍といったすぐれた僧を輩出しましたが、鎌倉新仏教の興隆とともにおとろえました。現在では、興福寺と薬師寺を大本山としています。京都の清水寺は大西良慶和上が確立した北法相宗です。

華厳宗(けごんしゅう)

これも南都六宗に含まれます。「華厳経(けごんきょう)」を根本教典とし中国で大成された大乗仏教のひとつです。日本へは奈良時の736年に唐の僧に依って伝えられました。聖武天皇の発願で東大寺が造営されて華厳宗の根本道場となり、天平勝宝4年(752年)に大仏開眼の供養がおこなわれています。明治維新に一時浄土宗に属したことがありますが、明治19年(1886年)からは東大寺を大本山とする独立の宗派になっています。

律宗(りつしゅう)

奈良時代の南都六宗に分類されています。12回の渡航と失明の末に日本に辿り着いた唐の僧、鑑真が日本に伝えたもので、僧になるための中国式のきびしい戒律の研究と実践を主とするもので学問仏教といわれます。、中国で大成された大乗仏教の一つです。総本山は鑑真の像でよく知られている奈良の唐招提寺(とうしょうだいじ)です。奈良の西大寺(さいだいじ)は真言律宗の本山です。京都では春の桜や夏の蓮の花が美しい法金剛院(JR花園駅前)が律宗です。法金剛院はこのサイトでご覧いただけます。

▼平安時代初期から約400年間の宗派▼

天台宗(てんだいしゅう)

開祖は最澄(さいちょう、767〜822)です。最澄は804年に唐に渡り、唐の天台山で天台教学を伝授され、日本に持ち帰って比叡山で円・密・戒・禅の四宗融合の「天台宗」を開祖しました。最澄が目ざした天台宗は「総合仏教」であったため、ここから鎌倉時代に浄土宗、禅宗、日蓮宗が生まれました。ご本尊は「釈迦如来」です。総本山は「比叡山延暦寺」です。弟子の円珍が園城寺(三井寺)を作っています。末寺は4000を超えているそうです。

真言宗(しんごんしゅう)

開祖は空海(774〜835)です。 804年に遣唐使船で唐へ渡った空海が2年後の806年に中国密教を持ち帰りました。京都高雄の神護寺(じんごじ)で真言密教の法燈を掲げていましたが、816年に高野山に金剛峯寺(こんごうぶじ)を開創、続いて京都の教王護国寺(きょうおうごこくじ、東寺)を823年に造り、この二つの寺院を密教の根本道場としました。末寺は約一万二千もあるそうです。

▼平安時代末期から鎌倉時代の七宗▼

融通念仏宗(ゆうずうねんぶつしゅう)

平安末期から仏教が衰えるという末法思想が広がり、次の七つの宗派が生まれました。融通念仏宗は阿弥陀仏を信じ、それにすがり、死後極楽浄土でさとりを得るという浄土系の一つです。開祖は良忍(りょうにん1072〜1132)です。「一人が唱える念仏が万人(多数の人)の念仏となり、万人の念仏がまた一人の念仏に集約される」という教えです。本尊は十一尊天得如来の画像。
総本山は大阪市の大念仏寺、末寺は約360あります。

浄土宗(じょうどしゅう)

法然(ほうねん、1133〜1212)が開祖。日本中に広まっていた「末法思想」を憂い、「出家者でなくても誰でも【阿弥陀仏(あみだぶつ)】を信じ、それにすがることによって死んだ後には浄土に生まれ変わって悟りを開くことができる」と説きました。信者数も末寺も非常に多く、京都の知恩院が総本山、京都にある大本山は「百万遍知恩寺」、「金戒光明寺」です。本尊は阿弥陀仏のみ。

浄土真宗(じょうどしんしゅう)

親鸞(しんらん、1173〜1262)が開祖。「南無阿弥陀仏を唱えることによって浄土に往生(おうじょう)できる。」と説いた浄土宗の開祖・法然の教えをさらに一歩すすめたのが、法然の弟子の親鸞が大系づけた浄土真宗です。「歎異抄(たんにしょう)」は親鸞の語最を集録した書籍として有名です。本尊は阿弥陀仏です。浄土真宗はいくつもの派に別れていますが、京都の西本願寺が本願寺派の本山、京都駅に近い東本願寺が大谷派の本山です。この他に、この京都観光ガイド、京都の寺院には仏光寺派の仏光寺の紅枝垂れ桜の写真頁もあります。

時宗(じしゅう)

浄土宗西山(せいざん)派の一遍が1276年に開宗した浄土教の宗派の一つで鎌倉時代に鎌倉地方の寺院で広まりました。総本山は神奈川県藤沢市の清浄光寺です。親鸞(しんらん)の教えをさらに発展せしめ、「たとえ信仰の心が無くても、南無阿弥陀仏を唱えるだけで極楽往生できる」と説いたものです。京都では北区鷹峯の金蓮寺(こんれんじ)が知られています。

臨済宗(りんざいしゅう)

禅宗の一派です。開祖は中国の義玄(ぎげん) ですが、これを日本につたえたのは栄西(1141〜1215)です。作務(さむ、労働)を尊び、坐禅を重んじるなど、浄土教の教えとはかなり違ったものです。本尊にはこだわらず「釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)」のほかに、その因縁による考えで「釈迦如来(しゃかにょらい)」、「薬師如来(やくしにょらい)」「大日如来(だいにちにょらい)」「観音菩薩(かんのんぼさつ)」などが安置されているのをみることがあります。法堂(はっとう)で説教をする僧が本尊という考えもあります。京都五山では「南禅寺(なんぜんじ)」を別格の上とし、「天竜寺(てんりゅうじ)」「相国寺(しょうこくじ)」「建仁寺(けんにんじ)」「東福寺(とうふくじ)」「万寿寺(まんじゅじ)」が続いています。京都五山以外でも「妙心寺」等、多くの臨済寺院が京都には存在します。

曹洞宗(そうとうしゅう)

700年ごろに中国で確立された禅宗のひとつで、日本へは道元(どうげん、1200〜1253)が伝えました。修行は坐禅を最も重んじます。求めない修業によって悟りを得られるという考えです。具体的に求めた場合は、それが得られればそこで修業はストップしてしまいます。自分は完成したと誤解してしまいます。正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)を経典としています。正法眼蔵は日本曹洞宗の開祖道元が1231年から1253年に没する前までに少しずつ書き記した物を弟子達が整理したものです。本尊はお釈迦様です。福井県の永平寺が大本山で、神奈川の総持寺もよく知られています。

日蓮宗(にちれんしゅう)

日蓮(1222〜1282)を開祖とする宗派です。日蓮が比叡山や鎌倉の長い修業の後、故郷千葉県の清澄(きよすみ)山で「南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)」の題目を太陽に向かって高唱した時点を日蓮宗の開宗としています。それは1253年(建長5年)4月28日です。「南無妙法蓮華経」の七文字の中に法華経の功徳のすべてが込められているとし、そのお題目を唱えるだけで法華経を読み、他の人にその教えを説き、書写までしたのと同じ事をなしとげたことになると信じられています。総本山は山梨県の久遠寺(くおんじ)で、京都市内の大本山は妙顕寺(上京区)があります。本尊はお釈迦様、大曼荼羅、日蓮聖人です。信者数は最も多く、約3500万人、末寺も多く7000近くもあるそうです。

▼明治時代に独立した宗派▼

黄檗宗(おうばくしゅう)

中国の禅宗の高僧、隠元(いんげん、1592〜1673)が江戸時代の初めに直接日本に伝えたもので、将軍家綱に宇治に地を与えられ黄檗山万福寺(おうばくさんまんぷくじ)を創建しました。明治9年に臨済宗黄檗派から黄檗宗として独立しました。中国の僧が持ち込んだ宗派なので、お経を読むときも中国式の発音で例えば「南無阿弥陀仏」は「ナムオミトフ」唱えるのだそうです。坐禅によって心身の統一をはかったうえで、日常の労働奉仕や、朝夕の写経、一粒米(いちりゅうべい)を軽んじない厳格な食事作法などによる精進(しょうじん)を重要視します。本尊はお釈迦様で、大本山は隠元が1659年に創建した京都府宇治市の黄檗山万福寺です。

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